リウドルフ (フリースラント辺境伯)
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リウドルフ Liudolf | |
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フリースラント辺境伯 | |
リウドルフの儀式用十字架。リウドルフの死後間もなく妻ゲルトルートが作らせたもの(クリーブランド美術館)。 | |
死去 |
1038年4月23日 |
配偶者 | ゲルトルート |
子女 |
ブルン2世 エクベルト1世 マティルデ イーダ |
家名 | ブルノン家 |
父親 | ブルン1世 |
母親 | ギーゼラ・フォン・シュヴァーベン |
リウドルフ(Liudolf, ? - 1038年4月23日)は、ブルノン家出身のデルリンガウ伯でフリースラント辺境伯。彼はブラウンシュヴァイクの創始者ブルン1世(1015年または1016年没)とギーゼラ・フォン・シュヴァーベンとの息子。母ギーゼラはシュヴァーベン公ヘルマン2世の娘で、バーベンベルク家のシュヴァーベン公エルンスト1世と2度目の結婚を、後に皇帝となるコンラート2世と3度目の結婚をした。このためリウドルフは、シュヴァーベン公エルンスト2世やヘルマン4世、とりわけ皇帝となるハインリヒ3世、さらにはフランス王アンリ1世の婚約者であったマティルデ・フォン・フランケンの父違いの兄弟に当たる。
リウドルフはゲルトルート(? - 1077年7月21日)という女性と結婚したが、彼女の出自については、学問上議論の的となっている(外部リンク参照)。
彼の子供は、以下の通り。
- ブルン2世(1024年頃 - 1057年6月26日) - 1052年フルトヴィッデ伯
- エクベルト1世(1068年没) - ブラウンシュヴァイク伯、マイセン辺境伯。
- マティルデ - 1043年にフランス王アンリ1世と結婚。アンリ1世は元は彼女の同名の叔母と婚約していた。
- イーダ・フォン・エルスドルフ - ハンガリー辺境伯レオポルト(バーベンベルク家)と結婚。